高輪ゲートウェイにみるカタカナ交じりの不思議

少し前の話題になるが、山手線の新駅が『高輪ゲートウェイ』となる旨が公表された。


多くの人々がまさかのカタカナ入りに驚きを隠せなかった。

もれなく私もその一人だ。

ニュースでは町の人々へのインタビューが繰り広げられていたが、

その多くがカタカナ交じりの駅名に違和感を持ったり、親しみにくいと感じる地元の人等のインタビューが多くとりあげられていた。

 

このネーミングが一般に定着するかどうかは分からないけれど、

ちょっと不思議に感じることがある。

 

ちまたには溢れているカタカナ英語は限りなくあるけれど、こと地名に関わることになるとどうしても受け入れがたい世論が大きくなる。

 

似たような例でいえば愛知県知多郡美浜町南知多町合併によって誕生する計画があった南セントレア市である。

ウィキペディアによると・・

『合併協議会は1月27日に「南セントレア市」を新市名に決定したが、批判を受けて2月9日に撤回2月27日に合併の賛否を問う住民投票で新市名についてのアンケートも同時に行われた。騒動によるマイナスイメージのためか合併反対票が多数を占め、合併計画自体が不成立となった』

と多くの人々のカタカナ受け入れがたいという気持ちの表れだと思う。

新しい町なんだといえば画期的かもしれないが、歴史のない町のような印象をもつのかもしれない。

 

けれど、マンションやアパートなんかはどうだろう、まるでヨーロッパのお城のようなネーミングの後ろにその地名がついた建物なんかはもう定番中の定番で、ネーミングにそぐわない外観に違和感を感じつつもそのスタイルが定着している。

逆に●●(漢字)荘のような名前は風呂無しアパートの定番、のような印象が根付いていると思う。

自分のなかにも受け入れられるもの、受け入れがたいものの不思議な矛盾を感じる。

 

 

 

 

桜開花予想不要論

1月ももう間もなくいってしまい、2月を間もなく迎える今日この頃。

ニュースでは早くも桜開花予想を発表していた、

気の置けない友人たちとのお花見の予定をたてたり、いまでも会社でお花見をするところもあるであろう。

開花予想はそんな先の情報を予想してくれ、前もって場所や日程を調整するのに

大いに役だっている。

 

だけど、毎年思ってしまうのだ。

開花予想などいらない、

 

本来冷え切った空気が少し落ち着いてきたり、夕方こどものお迎え時間がいつの間にか

まだ明るかったなあ、とか、そういった日常の気づきで、「ああ、もうすぐ春がくるんだなあ」と体で季節の移り変わりを感じたい。

 

桜がいよいろ来週です!

ほら芽がでた、ハイ開花しました~!! 

 

そういうのってなんか

季節を感じる有難味にどうも欠けているように感じてしまう。

例年より早くったって、遅くったってそんなことはどうでもいい。

咲く咲くって騒がなくっていいんです。自然とちゃんと咲くから。

それを肌身で感じたい。

 

情報にあふれている日常にどっぷり浸かっていると、

自分の感性が埋もれてしまう気がする。